knjrの日記

登山、鉄道、写真、カメラ、旅行、読書記録などの思いつくままに

この国はいつから米中の奴隷国家になったのか

この国はいつから米中の奴隷国家になったのか

この国はいつから米中の奴隷国家になったのか

  • 米国は「ダレスの恐喝※」のように、領土問題を紛争のネタとして残し日本が中国やソ連と手を結ぶのを徹底的に邪魔してきた。これは英国がかつて東南アジアやインドの植民地で行っていた「分割統治」という政治手法そのまま。民族を分断させ喧嘩させたり、二国間に紛争のタネをまいて喧嘩させながら自分の都合のよい方向へ持っていく尖閣諸島問題についても領土問題を継続させて紛争状態にして置くことが米国にとって都合が良い、まさに分割統治の代表例である。
  • 1991年にソ連が崩壊し東西冷戦の時代が終わった。1992年の大統領選挙で買ったビルクリントンは、「これからの戦争は経済戦争だ」と言い、経済安全保障という考えを打ち出し、国家経済会議というものを作り日本とドイツをターゲットにした。その結果、日本は強力な円高非関税障壁の撤廃、構造改革年次改革要望書という名目での内政干渉に立ち向かうことになり、「失われた20年」という状態に陥った。もちろんTPPもその延長線上にあるものである。
  • 1960〜70年代の経済成長期には、日本の官僚機構は世界でも最高レベルのシンクタンクといっていいほど官僚が優秀であった。体を張って日本の国益を守るという官僚もいたからこそ、日米経済交渉においてもある程度の国益が守られていた。その官僚制度を骨抜きにするために米国はあらゆる手段をつかってきた。ノーパンしゃぶしゃぶ事件もそうであるし、めぼしい官僚には米国に留学・研修をさせて徹底的に米国の考え方を叩き込むとういうことをしている(主要省庁、裁判官、検察官、警察キャリアまで対象になっている)。
  • 日本が米国の情報でしか動けなくなったのは、日本が独自に情報収集をすることを米国が許さないから。表向きは戦後の共産党社会党左翼が情報機関に猛烈に反対した結果ということになっているが、実は一番反対したのは米国である。その理由は、日本独自の情報機関ができれば米国が何をやっているかわかってしまう。米国は日本が米国の意向に従わせるために新聞、左翼を利用する、選挙のために自民党に資金提供する、そういった仕掛けが全て暴露されてしまうため


※ダレスの恐喝:戦後、日本はもともと歯舞、色丹の2島返還でソ連と妥結しようとしていた。しかし米国のダレス国務長官が、2島返還で妥結するなら米国は沖縄を返還しないと恫喝した。わが国はやむなく4島返還を主張せざるを得なくなり、北方領土問題は固定化された