knjrの日記

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日本は本当に戦争する国になるのか?

  • 日本に対して”アーミテージ・ナイ報告書”という政策提言の形で命令をしていた「リチャード・リーアーミテージ」、イラク戦争を中心になって推進しイラクの現状の混乱状態を招いた(米国では更迭されている)「ドナルド・ラムズフェルト」の二人になんと2015年の旭日大綬章を受けている。日本と米国の関係は、こういうものだとと改めて思い知らされた
  • 安保関連法案について、集団的自衛権が認められるかどうかという憲法議論と、日本の防衛はどうあるべきかとうい安全保障議論が同時に展開されたため、一般の人たちにきわめて理解しにくいものとなった。日本の平和と安全が脅かされたような重大事が発生した時に、日本としてどうこうどうするか、個別自衛権だけなのか、集団的自衛権だけも使うのかという話と、日本の国際貢献はどうあるべきかという話は、切り離して議論すべきであった。
  • 安倍政権が憲法学者や国民の強い反対を押し切ってまで安保法案の成立に力をいれるのは、祖父へ強い思いがあるから。一般的に二世、三世議員は自分の実力で議員になったのはないという引け目があり、父親を超えるということに対する意識が強い。ブッシュ大統領親子の事例では、パパ・ブッシュ湾岸戦争はしたがイラク軍にクウェートから撤退させはしたが、フセイン政権を倒せば民族対立や宗教対立が激化することを予想して思いとどまったのに対し、息子ブッシュは中東の複雑な事情など理解せずに「パパはフセイン政権を倒す事ができなかった。パパができなかったことをやろう」という発送で突っ走って、現在のイラク戦争の泥沼化やイスラム国を生んでしまった。安倍首相の場合、首相になった時点で父親の安倍晋太郎を超えたが、祖父である岸信介が主張していた(政府の方針として確立する前に退陣に追い込まれた)手段的自衛権の限定的行使を認めさせるために動いていたのではないか。
  • 国会審議の中で、ホルムズ海峡での機雷除去の説明がされたが、実際の想定としては考えにくい。ホルムズ海峡の国際航路はオマーンの領海に設けられている。すなわちイランがホルムズ海峡を封鎖するためには、オマーンの領海に機雷を設置することになる=イランがオマーンに戦争を仕掛けたことになる。そうなると小国であるオマーンサウジアラビアに助けを求め、サウジアラビアとイランの中東の2つの大国の全面対決となり、第五次中東戦争第三次世界大戦にも発展しかねないとてつもない事態になると。本来はホルムズ海峡よりも、南シナ海に中国が機雷を設置するほうがリアリティがあるのだが、中国を刺激しないようにホルムズ海峡を強調したと考えられる。
  • 南シナ海の緊迫状況については、米軍は財政難であることもあり、日本にパトロールの協力を求めている。海上自衛隊はフィリピン軍と合同演習もしている。となると不測の事態であり得るのは、フィリピン海軍と中国海軍の衝突であるが、フィリピン海軍は非力なので、米軍が助けに入る。米軍と中国軍が一戦を交えることになれば、次は日本が米軍を助けに入ることがあり得る
  • 駐日アメリカ大使館のHPには、「海外で緊急事態が発生しても、アメリカが救出するのは米国籍の市民を優先する。米国籍以外の人を非難させるのに、アメリカのチャーター便や非営利の輸送手段を期待してはならない。市民救出のために米軍が出動するのはハリウッドの台本である。」と記載されている。外国人である日本人に対して、同盟国とはいえ米軍が軍隊を使って助けることは、有り得ない設定である。政府は集団的自衛権の行使を国民に認めてもらうとして、印象操作をしたということ。
  • 安保法案により自衛隊は海外の軍隊を助けるために駆けつけることができるようになった。2016年春から南スーダンでの駆けつけ警護が予定されている。駆けつけ警護は重武装して、必要なものを全部持って、駆けつけること=戦闘するために行くこと。駆けつけ警護ができることは、自衛隊が海外から信頼される反面、戦闘に巻き込まれるリスクは上がる。安倍首相は国会で自衛隊のリスクは高まらないと言ったが、そんなことはあり得ない。そんなことは詭弁。平和維持活動で海外に出て行った自衛隊員が現地で銃撃戦をして、殺したり殺されたりするというリスクは、今よりはるかに高まる。
  • 東西冷戦時代、ソ連軍が北海道に攻め込んでくることを想定し、ソ連が侵略してきたらとりあえず自衛隊が応戦する。3日間持ちこたえれば、その間に米軍がかけつけて、一緒に反撃すればいい。ソ連軍が相手に自衛隊だけで北海道を守るのは思うより大変、3日間持ちこたえればおいということであれば、一定の装備でよい。日本はそうやって防衛力にお金をかけないで、その分経済の発展に力をいれることができた。
  • 今回の安保関連の報道では、反対が朝日、毎日、東京新聞、賛成は読売、産経、日経新聞とはっきり分かれた。主張や社説が異なるのはよいが、社の論調に合わせて、取材する出来事やファクトまで選別されているという印象がある。反対を主張する新聞社や反対運動ばかりとりあげ賛成の人の意見は取り上げない、一方賛成を主張する新聞社はデモなどの反対運動を取り上げない。賛成側の新聞社は反対でもがあれだけ大勢の人を集めたのでそれをきちんと伝えるべきであるし、反対側の新聞社も賛成論者はどいういう根拠で賛成しているのかきちんとと報道し、読者に判断材料を与えることが必要だったのではないのか
  • 安保法案は今後違憲で訴えられる可能性がある。最高裁判所の裁判官は、長官以外は内閣が任命するルール。70歳が定年なので、今後何人ものひとが定年の迎えることになる。定年ができたら内閣が新しい人を任命するのであるが、安倍首相が「集団的自衛権の行使は合憲だ」と考える人を次々に最高裁判所に送り込んでいくことも考えられる。この問題が最高裁で審理されるのはかなり後になるので、その間に違憲でないという人を増やしておけば、違憲訴訟が起きてもクリアにできるから。
  • 民主主義とは多数決の原理。安倍政権に多くの国民に信任を与えているからこそ、安保法案は成立した。たった1回の選挙でその後4年間の政策を全て信任を与えた形となる現在の民主主義、どこかおかしいのは確かなのだが、全ての政策で国民投票を実施するというのは現実的ではない。政治家には国民の声を吸い上げる柔軟性と、国民が反対しても必要なことをするのだという強い意志の両方が必要。だだし後者は独裁に陥ってしまう危険性がある。2015年の夏は「民主主義とはなにか」ということを我々に教えてくれたような気がする。この機会に民主主義を考えるフェアを企画した書店があったが、その内容が「偏向している」という批判を飢えて、起動修正に追い込まれた。フェアで展示された書籍名のリストをみると、「偏向している」という批判した人の思想こそ「偏向している」と感じさせる。