knjrの日記

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早急に他の原発に対する再点検を!

今回の福島原発津波について、毎日新聞によると
「福島第1原発:東電、津波は想定外 揺れは設計基準内」


東京電力は19日、福島第1原発6号機が東日本大震災で観測した揺れの強さについて、東西方向431ガル(ガルは加速度の単位)▽南北方向290ガル▽上下方向244ガルだったと明らかにした。加速度の数値が大きいほど揺れが大きいとされる。設計上の基準値は、東西448ガル▽南北445ガル▽上下415ガルで、どの方向の揺れも想定以内に収まっていたが、東電は「津波の影響が大きかった」と説明している。


 1〜5号機については揺れの強さを測定したデータが確認できていない。
 東電によると、同原発は土木学会の基準に従い、約5メートルの津波を想定して設計されたという。実際にはそれを上回る津波が押し寄せたとみられる。緊急炉心冷却装置(ECCS)を駆動するための非常用電源が6号機を除いて使えなくなり、外部からの受電設備も水没した。


 原発の耐震設計審査指針は06年9月、25年ぶりに改定された。原発ごとに想定する地震を検討し、過去の地震をよりさかのぼって評価するようにした。福島第1原発の想定地震の基準地震動も強化された。


 大竹政和・東北大名誉教授(地震学)は「福島第1原発の建設前の津波の評価が過小だったことが証明された。日本ではすべての原発が海に面している。他の原発についても、津波の評価が十分かを点検する必要がある」と話す。

今回の事故の一番の原因は、想定外の津波により非常用のディーゼル発電機が2台とも動かなかったため、冷却装置を作動できなかったことである。


ここで私のお仕事である情報セキュリティ対策と、原発の安全対策に対する考え方の共通性について考えてみたい。
情報セキュリティでもリスクに対してリスクをゼロにするための完璧な対策をすることは、ほぼ不可能である。通常は以下のプロセスとなる。

  1. 発生する可能性のあるリスクを洗い出し、それら分析を行う
  2. リソースを考慮して、そのリスクに対して最大限の対策を行う
  3. 対策をして残ったリスクについは「残留リスク」として組織の責任者に報告する
  4. 責任者はその残留リスクを承認し、リスクが発生する可能性があることを認識する
  5. 組織は万が一そのリスクが発生した場合に備えて、インシデント対応手順の整備をしておく
  6. リスクや可能な対策は刻々と変化するので、上記の1-5のプロセスを定期的・随時実施する



これを今回の原発事故と津波というリスクに当てはめてみると、以下のような疑問点が浮かび上がる。

  • (リスク分析をした結果の)5mという値は妥当な値だったのか。建設が行われた1960年代であれば、地震津波に対する研究が今とは違っていて緩い基準でも仕方がない面はあると思うが、コンピュータ技術や研究が進んだ現在でも関係者はそう思っていたのか。
  • 5m以上の津波では、今回のような大災害になる可能性があることを、東電幹部や原子力委員会のメンバー全員が認識していたのか。
  • (仮に幹部やメンバーが認識していたとしても)大災害が発生した場合のインシデント手順を準備していたのか。例えばディーゼル発動機が止まった場合の他の電源の確保や、放射能漏れを想定した地元住民の避難訓練、政府への連絡・通報の基準などは十分であったか



3つ目の疑問点については、朝日新聞「「安全神話」の果て 福島第一原発事故」


「避難は原発から20キロ圏内」。福島第一原発事故による住民避難は、日本の原子力防災指針の想定を簡単に超えてしまった。想定は、原発事故でも避難を含む重点対策をとる範囲は8〜10キロまでというものだ。日本では長い間、「原発の大事故は起きない」と聞かされてきた。今回の原発事故はこれが神話だったことを示した。


 原発の近くに住む人の中には、地震の被災で避難所にいき、原発事故でさらに遠くへ移動させられ、屋内退避を強いられている人たちがいる。「いつまで続くのか」という不安といらだちの中にいる。


 日本の原子力草創期、原発をつくる側が「原発の大事故は絶対に起きない」という表現をしばしば使った。これは科学の言葉ではなく、地元を説得するための方便のようなものだったが、原子力行政の中にも反映された。


 1979年の米スリーマイル島原発事故で炉心溶融が起きた後も、格納容器に過酷事故対策を追加することに、日本では当初、抵抗があった。
 チェルノブイリ原発事故では半径30キロ圏内の住民が避難した。
 しかし、住民の避難訓練には「日本ではそんな事故は起きないのになぜ訓練が必要なのか」という議論が起きた。当初は「住民」が実際に参加するのではなく「模擬住民」の役割をつくって住民参加の形をとらざるを得なかった。それほど抵抗が強かった。


 原子力災害の防災指針は今も、避難も含む重点対策は「8〜10キロまで」の範囲だ。原発の高さ100メートルほどの排気塔から放射能が「24時間」放出されるという仮定だ。その事故想定でさえ実際には起こりえない規模としている。


 チェルノブイリ事故の経験は「日本の原子炉とは安全設計思想が異なるので同様の事態は考えがたい」として考慮されなかった。
 今回の事故の広がりは今後の展開にかかっているが、指針が想定した範囲は超えた。これまでの考えは甘かった。
 東京電力津波に耐える設計について「地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、安全性を確認しています」としている。そうした検討をしたはずだが、現実は全く違った。


 「大事故は起きない」という言葉が、これまで事故の怖さへの想像力を失わせていたのではないか。専門家も多くの人も、日本が技術先進国であることと一緒にして、知らず知らずのうちに、その言葉にとらわれていたと感じる

災害発生時の原発周辺の住民の方や元従業員の方の証言通り、「原発は安全ですから」と東京電力は言い続け、周辺の人々もそれを信じ、政府や原子力安全委員会も、「東電がそういっているのだから」とそれを鵜呑みしていたのではないのか。
ニュース解説に出てくる原子力工学者の中には、いまだに「対策は十分だった、完全な対策をするには多大なコストがかかり利用者に電気料金として跳ね返る(=だから仕方ないのだ)」と主張する輩がいる。
真の専門家であれば「現状の対策ではここまでしかカバーできない(5mの津波)。それ以上になると**の被害がでる。それをカバーする対策には費用がこれくらいかかる」ということを東電幹部や原子力安全委員会に説明し、本当に必要な対策であれば、そのコストを捻出してもらえるように、利用者、株主、政府に働きかける。それでも対策が行わない場合は、最終的な残留リスクがあるこを近隣の住民を中心とした国民に公表する。
住民や国民はその情報を踏まえた上で、本当に原発がそこに必要かを判断する。


福島以外の各地の原発を持つ自治体でも、原発の安全対策を再確認する動きもでできているようです。そのときに注意してもらたいことを2点。

  • 確認ポイントを電力会社や原子力安全委員会の専門家に任せっきりにしない。任せっきりにした結果が今回のような惨事が発生したのです。国は原子力以外の外部の有識者(安全工学、失敗学・危険学等)を含めて、早急に確認ポイントを提示し、それに従いすべての原発をチェックすべき。(補足:電力会社や原子力安全委員会に任せると、自分たちの過去の判断の誤りを認めることになるので、それを覆すような結果になる確認は行わないだろう)
  • 結果を国民に公表する。その結果、停止するかリスクをのんだ上で稼動継続するかとなるだろう。継続する場合は、そのリスクをのめない住民は反対運動や移住という選択肢がでてくるだろう。

形式的に「見直しをした結果、大丈夫でした」といいつつ、見せたくないリスクを隠すことが一番悪質である。まずは明確な基準の設定、それに従った調査、そして情報公開。このプロセスを確実に実施していただきたい