knjrの日記

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ホットスポットができた経緯が明らかに

ホットスポットができた経緯が、かなり明らかになってきた。現代ビジネスのスーパーホットスポットを次々発見 放射能汚染に新事実、この数値を見よ!全国1000ヵ所を独自調査 〈後編〉から引用する。


図にはいくつかの矢印が記されている。矢印の方向に進む、ナメクジの足跡のようなこの帯こそが、東日本にホットスポットを作った「放射能の足跡」なのだという。早川教授がそれぞれに説明を加える。


「データを分析すると、福島第一原発からの放射性物質の大量放出は、大きく4回あったとわかりました。


 最初が3月12日の夜。南相馬から太平洋を北上して時計と反対回りに女川を経由し一関市に向かった。平泉を汚染したのはこのルートです。


 2回目が3月15日の午前中。いわき市水戸市と南下し、そこから3方向に分かれている。宇都宮方向に向かったもの、群馬方向に向かったもの、首都圏に南下したもの。軽井沢周辺を汚染したのはこの時の群馬ルートです」


 そして最悪の放出が起きたのが、3号機の建屋が爆発した翌日の、3月15日夕方からだった。


原発から北西方面に進み飯舘村などを徹底的に汚染し、そこから時計と反対回りで福島、二本松、郡山、那須、最終的には日光まで流れていきました」


 このルートが、現在SPEEDIなどで公開されているもので、多くの国民はこのルートしかないと思っている。


 実際はそうではなく、これが3回目。4回目の大放出が、前述した3月21日の、海越えで東葛を汚染したルートだった。


 恐ろしいのは「原発からいつ放射性物質が大量発生したか、誰もわかっていなかった」という事実だ。


「多くの人は爆発が直接の原因で放射能が拡がったと思っているが、それは違います。イメージで言うと、爆発などで施設のどこかに穴などの不具合が生じ、ある時シューッと漏れ出す、という感じだと思う。


 その証拠に、最悪の放出が始まった3月15日の夕方には、爆発的事象は起きていないのです」

 これが何を意味するか。今後、爆発がなくても再び大量放出される危険性は十分にあるということだ。表面的に原発が落ち着いたからといって、けっして安心できないのである。


元データは群馬大学 早川由紀夫教授の放射能地図である。放射能マップはいろいろ出ているが、ビジュアル的には、この早川教授のものが一番パッと見で理解しやすい。


これを見れば、なぜ松戸や柏、東京東部にホットスポットができたのも理解しやすい。


また、これらの地図や解析結果からわかることは、放射性物質の放出、風向き、天候(雨や雪などの場合)が一致すれば、その地域はホットスポットになってしまうのである。これは「NHK特集 調査報告 チェルノブイリ原発事故」で報告されていたように、チェルノブイリの時と全く同じなのである。


政府はこのことを知っていたから、SPEEDIに113億円もの税金をつぎ込んでいたはずであるが、今回の福島の事故では、全く国民の役に立つことはなかった。原発のストレステストや新安全基準の検討とは別に、SPEEDIを含めた事故発生時の対応手順の確立もしっかり検討・実施していただきたい。