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戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

  • なぜ世界では紛争が絶えないのか
  • 日本人が必死に努力しているのに景気が良くならないのか
  • 支配層(政治家、財界、司法、マスコミ)は国民の側に立たないのか、平気でウソをつくのか

本書は自分が今まで追い求めていた、これらの解をもたらしてくれた。それは『米国(大国)の意向』である。


まずは著者の孫崎氏の紹介動画から↓


以下、ポイントになる部分だけを抜粋

  • 戦後の日本では、米国に対する「追随路線:常に米国との関係を良好にすることを目指す」と「自主路線:少々米国とのあいだに波風を立てても、日本の国益上守るべきものがあるときや、べいこくのいいなりになると国益上マイナスになるときには、はっきりと主張する」の2つの流れがあった。それらの視点から大きな歴史の流れを見ることにより、はじめて日本人は過去の歴史を正確に理解する事ができ、日本の行く先も見えるようになる
  • 米国は世界をどう動かし、経営していくかという強い戦略がある。日本もその戦略の中に組み込まれている。そのため米国は日本を同盟国として扱うのか、切り捨てるかについては、そのときの状況によって変化する。常に米国が日本を助ける訳ではない。
  • 国際政治のかなりの部分が謀略によって動いている(日本も戦前、中国大陸で数々の謀略をしかけているし、米国もベトナム戦争でのトンキン湾事件キューバでのノースウッド作などを行っている)。決して陰謀論などではない。その裏工作のために、CIAが自民党社民党の政治家に巨額の資金を提供していたことが、米国側の公文書によっても明らかにされている。
  • 吉田茂について、様々な評価がされているが、吉田首相の役割は「米国からの要求に全て従う」ことだけであった。だから占領期の吉田茂の政策が「素晴らしかった」「問題があった」という議論はあまり意味が無い。政策を決める立場にあったのは、連合国最高司令官マッカーサーであり、吉田茂ではなかった
  • 占領初期、米国は日本経済を徹底的に破壊している。今の我々が常識としているような「寛大な占領」だったわけではない。その方針が変わるのは冷戦が始まり、日本をソ連との戦争に利用しようと考えるようになってから。吉田茂と占領軍とやりとりがあったから、戦後の経済復興があったわけではない
  • (米国通髄派の吉田茂に対して)敗戦後の餓死者が出るような経済状況の中、国家予算の2〜3割を米軍の経費に当てていたことに対して、自主路線派の石橋湛山のグループは、米国への経費削減などを堂々と主張した人物もいた。だがそのような状況になると米国は「自主路線のシンボル」になりそうな危険性を察知し、あらゆる手段を使って追放されることになる。
  • 東京地検特捜部の前身はGHQの管理下にあった「隠匿退蔵物資事件捜査部(GHQのために「お宝」を見つけ出す特別の捜査機関)」である。米国の「有事駐在案」を主張した自主路線派の芦田均首相が昭和電工事件を仕掛けられ、7ヶ月で失脚させられたのは、田中角栄首相の追い落としと同じく、検察(特に特捜部)とマスコミが協力し、社会的失脚に追い込まれたためであった。
  • 政治家が米国との間に問題をかかえると、汚職関連の事件を摘発され失脚させられる。芦田均昭和電工事件:在日米軍について「有事駐留」を主張。②田中角栄ロッキード事件:米国に先がけて中国との国交回復)③竹下登リクルート事件自衛隊の軍事協力について米側と路線対立)④橋本龍太郎(日歯事件:金融政策などで独自路線、中国に接近)小沢一郎西松建設事件、陸山会事件在日米軍は第七艦隊だけでよいと発言、中国に接近)
  • 米国の占領初期の政策で一番重要なことは「日本が再び米国の脅威にならないことを確実にすること」であった。そのため厳しい経済制裁を加え、工業施設を破壊し、「日本が侵略した国々の生活水準よりたかくしないでおく」という考えがあった。それが1948年の米国陸軍の演説で突如、「占領経費が高くつきすぎるので、日本にある程度経済的自立を与えたほうがよい」と主張しだした。その裏には「東アジアでは将来、ソ連との間で戦争が起きるかもしれない。そのためには日本を防波堤として使いたい。そのためには日本の経済を自給自足できるレベルに引き上げる必要がある」という米国の戦略があった
  • 日本人には秘密にされていたが、占領期には日本の新聞、雑誌、書籍、さらには個人の手紙まで検閲し、日本人全体の動向を把握し、コントロールしていた。新聞や雑誌は、作ったあとの検閲により発行できなければ、大変な損失を被るのでGHQの方針に反するような記事については、自分たちで「自主検閲」をするようになった。このような大規模な言論統制には。5000人もの高度な教育を受けた日本人が雇用されていた(預金封鎖で金持ちでも給与が500円の時代に、900〜1200円が支払われていた)。その日本人の検閲官の中には、大学教授や大新聞の記者になっているものもいるし、官界や学会、政財界でそれなりのポストをしめたはず
  • 日本には大量の米国研究者が存在するわりに、「米国からの圧力」を研究にして本を書く研究者が殆どいない。その理由は、①日本の米国学界が、米国に対して「批判的ないかなる言葉も許されない」状況でスタートしていること②米国はこの学会に資金提供の支援を継続的に行っている。その対象は東大や京大である。東大教授や京大教授に親米的な米国研究が草hがいる背景がここにある
  • 戦後の歴史を見ると、一時期、米国に寵愛される人物がでてくる。しかし情勢が変化すると、米国にとって利用価値がなくなる。そのとき、かつて寵愛された人物は「米国にとって自分は大切なはず」と考えて、新たな流れに気づかずに切られてしまうケースが極めて多い(吉田茂、イランのハーレビ国王、韓国の朴ヒョンヒ大統領など)。米国が独裁者を切るときには、よく人権問題などに関するNGOなどの活動を活発化させ、これに財政支援を与えて、民衆をデモに向かわせて、政権を転覆させるとう手段を使う(「アラブの春」もこの手口)。
  • 北方領土の北側の二島、国後島択捉島は、第二次大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償としてあたえた領土。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度は国後、択捉のソ連に引き渡しに反対し、わざと「北方領土問題」を解決できないようにしている。その理由は日本とソ連のあいだの紛争のタネを残し、友好関係を作らせないため。この手口も国際的には常識であり、過去に英国が植民地から撤退するときにも、インド撤退時にはパキスタンとの領土問題を、アラブ主張国連邦撤退時には、複数の首長国がいがみあうように、飛び地の領土を作り境界の領土をわざと複雑している。
  • ソ連崩壊後、米国にとっての最大の脅威は日本の経済力であった。実際にCIAの役割も、日本への経済スパイへと変化している。その結果、貿易だけでなく、日本国内の金融や保険といったサービス分野への市場開放や、両国の貯蓄・投資パターンや、市場・産業問題を検討項目にあげ、日本の社会システムそのものを変更させて、米国企業が利益を得やすくするようにする流れにしてきた。TPPもこの流れのなかにあるものである
  • 米国からの日本の社会システム変更要請に対して、当然ながら日本の官僚は執拗な抵抗をした。米国は官僚機構をつぶせば、米国の思うようになると考え、日本国内での官僚たたきが激しくなった。ノーパンしゃぶしゃぶ事件」もその典型であった。

本書の中の引用から
『英国の外交官として20年勤めたあとに高名な歴史家となったE・H・カーは、『歴史とは何か』の中で「歴史とは過去との対話」であるとのべている。つまり歴史は過去を知るために学ぶのではなく、現在起こっている問題を理解するために学ぶのだということである。』
まさにその通りである。


閉塞感で覆われた今、何をすべきか考えるには、まずは、過去を把握した上で現状を理解する必要がある。そのための国民必読書。


↓に最初の100ページほどが無料で閲覧できます。
http://www.sogensha.co.jp/pdf/preview_sengoshi.pdf


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