knjrの日記

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ドキュメント東京電力企画室

ドキュメント東京電力企画室 (文春文庫)

ドキュメント東京電力企画室 (文春文庫)

先日紹介した「福島原発の真実」は、原発設置の自治体と政府・電力会社のバトルについて描かれていたが、本書は東電(電力会社)と通産省(国家・官僚)の関係についてドキュメントで描かれている。


今でこそ電力会社と経産省が蜜月の関係であることは周知の事実であるが、以前は確執関係にあったようだ。それを紐解くには、本書に記述されえているような、電力をめぐる覇権争いの流れを把握する必要がある

  • エジソンが白熱電燈を発明して、わずか30年で日本も電力の時代となり、電力会社の数は、大正14年には738社にまで膨れ上がり、まさに民間電力会社の競争の時代であった。
  • 戦時期の昭和13年、電力国管法が成立し、電力会社は配電だけで、発電と主要な送電線は国策会社が吸収した。その結果、電力供給が不安定になり、発電所の建設スピードも半分になってしまった。
  • 戦後の昭和26年にGHQにより9電力会社に分離され、再び電力が民間企業に戻った。この日から、官僚は再び電力という力を国家に取り戻したいと思うようになる(同様に電力会社も国家に再び電力を巻き上げられまいと抵抗するようになる)
  • 1953年のアイゼンハワーの「ATOMS for PEACE」の演説から、日本でも正力や中曽根が中心となり、日本にも原発導入へ動くことになる(その辺の詳細は「原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史」が詳しい。その際に、電力会社と官僚たちの主導権争いが勃発していた。電力会社は官僚に原発について口をはさまれたくなかったため、当時は不確定要素が多かった海外の軽水炉を、”完成した実用炉だ”と言い張った。そのため国から研究、開発費を出すわけに行かず、海外の実験炉レベルの完成度の低い軽水炉を動かす羽目になった(その結果、初期の軽水炉運転直後には事故が多発していた)
  • 電力会社は国家の介入をかわそうと、原発の大型化や集中化を進めようとしていたが、原発事故が多発し反対運動も発生して電力会社も苦境に立たされていた。その頃に官僚も反撃を開始し、再転換などの強硬な国産化政策を打ち出して、それを電力会社に飲ませた。これを期に電力会社優位の時代が少しずつ通産省のへ傾きはじめた。
  • 1974年、更に通産省電源三法を国会で可決させた。この電源三法の札束の元は、電源開発促進税という形で電力会社から出させている。つまり通産省は、電力会社から税金の形で召し上げた原発地域宣布資金を握ることで、それまで口がはさめなかった原子力開発に大きな発言権を得た


「原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史」と同様、現在の状況を深く知るには、過去から経緯を紐解く必要がある。


文庫がない場合は、

日米IT戦争のカラクリ (田原総一朗自選集)

日米IT戦争のカラクリ (田原総一朗自選集)

に収録されていますので。ご参考まで