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朝日新聞:脱原発へ転換 「提言 原発ゼロ社会―いまこそ 政策の大転換を」

7/13付けの朝日新聞から。紙面や社説の中で明確に脱原発への指示を打ち出している

以下、社説から


<提言 原発ゼロ社会―いまこそ 政策の大転換を>


 日本のエネルギー政策を大転換し、原子力発電に頼らない社会を早く実現しなければならない。


 いまだに収束が見えない福島第一原発の事故を前に、多くの国民もそう思っている。朝日新聞世論調査では、段階的廃止への賛成が77%にのぼった。


 なにしろ「止めたくても止められない」という原子力の恐ろしさを思い知った。しかも地震の巣・日本列島の上にあり、地震が活動期に入ったといわれるのだ。再び事故を起こしたら、日本社会は立ち行かなくなってしまう。


 そこで、「原発ゼロ社会」を将来目標に定めるよう提言したい。その方策については、社説特集をオピニオン面に掲載したので、お読みいただきたい。


 脱原発を進めるポイントは、時間軸をもつことである。


 これまで電力の3割近くを原発に頼ってきた。ここで一気にゼロとすれば電力不足となり、生活や経済活動が大きな打撃を受けるだろう。過度に無理せず着実に減らしていく方が現実的であり、結局は近道にもなるはずだ。


 原発の寿命は40年がひとつの目安とされている。もう新たな原子炉は建設せずに40年で順に止めていくと、2050年にはゼロになる。これでは遅すぎるが、代替電源の開発・導入に力を入れ、節電にも努めれば、ゼロの日をそれだけ早めることができる。


 代替電源の希望の星は、風力や太陽光を始めとする自然エネルギーだ。これを増やす方向へエネルギー政策を転換し、電力会社による地域独占体制を抜本的に改めて自由化を進める。それが社説で描いたシナリオである。


 これまでは、原発増強を最優先させ、自然エネルギーを陰に陽に抑制してきた。自然エネルギー源は各地に分散していて地域密着の発電になるので、自由化による新規参入が欠かせない。需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ。


 ただし、まだまだコストが高い。急激に導入すれば電気料金を押し上げ、暮らしや経済活動の重荷になる。どのていどの値上げなら受け入れ可能か。危険な原発を減らすことと天秤(てんびん)にかけ、国民的な合意をつくりつつ廃炉のテンポを決めていくことが大切だ。


 また、それまでには時間がかかるので、当面は天然ガスなどの火力発電を強化せざるをえない。二酸化炭素を出し、地球温暖化の防止にはマイナスに働くが、自然エネルギーの開発と省エネを進めていき、長期的には脱原発と両立させねばならない。それが日本の国際的な責任でもある。


 以上の努力を重ねていって、ゼロにできるのはいつか。


 技術の発展や世界の経済情勢に左右され見通すのは難しいが、20〜30年後がめどになろう。


 そこで、たとえば「20年後にゼロ」という目標を思い切って掲げ、全力で取り組んでいって、数年ごとに計画を見直すことにしたらどうだろうか。


 現在は、54基ある原発のうち35基がすでに休止しており、8月までにさらに5基が検査で止まる。この状態であっても、私たち一人ひとりの節電努力でこの夏の需要最盛期を乗り切れたなら、かなりの原発はなくても大丈夫であることを証明したことになる。


 今後は安全第一で原発を選び、需給から見て必要なものしか稼働させなければ、原発はすぐ大幅に減る。ゼロへの道を歩み出すなら、再稼働へ国民の理解も得やすくなるに違いない。


 戦後の原子力研究は「平和利用」を合言葉に出発した。しかし、原発が国策になり、地域独占の電力会社と一体になって動き始めると、反対論を敵視してブレーキが利かなくなった。


 多くの国民も電力の源についてとくに考えずに、好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた。


 原発から脱し分散型の電源を選ぶことは、エネルギー政策をお任せ型から参加型へ転換し、分権的な社会をめざすことにつながる。それは、21世紀型の持続可能な社会を築くことにも通じる。


 きょうの社説特集は「原発ゼロ社会」へ向けたデッサンにすぎない。必要なのは国民的に議論を深めながら、やれることから早く実行へ移していくことである。(論説主幹 大軒由敬)


 戦後もともと朝日新聞は、正力の元で原発を推進する読売新聞とは違い、原発推進派ではなかった。それが1974年から資金難から電力会社の意見広告を受け入れ、原発反対を口にすることができなくなってしまったらしい。以下、赤旗の記事から引用。



 74年当時、朝日新聞石油ショックのあおりで広告が減少し、意見広告を多く掲載しようという議論がありました。その中で、原発推進の意見広告も受け入れるという結論が出されたといいます。


 このとき朝日新聞への広告を取り仕切ったのが電事連の鈴木氏です。鈴木氏は「朝日は読者がインテリ層であるから、硬くはなるが、第三者によるPRということで学者や専門の研究所員を動員した」などと振り返っています。


 朝日新聞への10段広告は、その後2年にわたって毎月欠かさず掲載され、76年以降も数カ月に1回程度は掲載されました。




このような経緯がある限り、今回の表明の中で「電力会社からの広告は二度と受け入れない」ことを表明しない限り、我々国民は新聞社を信じる事などできない。7/13の朝日新聞を購入して確認したが、上記の社説以外の見開き2ページを裂いてはいるが広告費の問題は何一つ触れていなかった。


教えてgoo「マスメディア、ジャーナリストの使命はなんでしょうか。」の回答には


「ウォッチ・ドッグ」
 チェック機能は、ジャーナリズムの生命である。欧米では象徴的にウォッチ・ドッグ(watchdog番犬)と表現されるこの監視・チェック機能こそ、メディアが健全な社会を作り維持するためにもっとも期待されている役割だ。メディアの存在理由であり基盤である。これを忘れてメディアが権力と癒着したり、メディア自身のモラルを低下させてセンセーショナリズムに走ったりすることは許されない。


 多くの著名なジャーナリストやメディア研究者がチェック機能の重要性を繰り返し語ってきた。メディアやジャーナリストを、ある集団の「歩哨」や航海中の船の艦橋に立つ「見張り番」にたとえ、警戒すべき変化や危険の兆候をいち早く見つけて大声で叫ぶことの大切さが説明されている。歩哨や見張り番は、人々が寝ている間も懸命に監視を続け、自分を信頼してくれる人々の安全のために働くわけだ。まさにメディアの「監視機能」もそのような働きである。


 社会の隅々に目を光らせ、社会の健全な発展を阻害するような変化や危険を見つけると大声で社会に知らせ、警戒を呼びかける。監視の対象は国や権力に限らない。巨大組織や大企業など、国民の生活と生命に大きな影響力を持つ機構、人物すべてが対象になる。もちろん、いまや大変な影響力を持つに至ったメディアも対象になる。監視するだけでなく、不正義を広く社会に告発・公表する役割も含まれている。


 通常、権力や大組織の不正、腐敗といったことは、隠されている。従って、メディアは単に監視するだけでなく、これらの悪事を探り出し、発掘する必要がある。発掘には大変な困難が伴うが、懸命の努力で不公正を掘り出して公表し、権力や大組織の姿勢を改めさせるのがメディアの仕事と考えるべきだ。そのような業績の特に優れたものに、毎年、ピュリッツァー賞日本新聞協会賞といったメディア界の最高栄誉が授与される。これらの賞は、単にスクープをほめ称えるのではなく、その報道が民主主義を守り、われわれの社会の腐敗を防ぐのに貢献したことをほめ称えているのである。


朝日新聞を含む大手マスコミの今回の原発震災に対する報道はあまりに酷過ぎた。道のりは遠いと思うが、まずは「電力会社からの広告拒否」を宣言した上で、「ウォッチ・ドッグ」の精神に立ち戻って、国民からの信頼回復に努めることを期待したい。