knjrの日記

登山、鉄道、写真、カメラ、旅行、読書記録などの思いつくままに

思考停止?

震災後に自分の周りの人と原発震災について話をすると、福島県を中心として、これだけ原発震災の被害が広がっているのにもかかわらず、あまりに無関心な人が多いのに驚かされる。ちょうど原発関連の書籍と並行に、

選択の科学

選択の科学

を読んでいる途中である。そん中で、人間は生まれながら「選択したい」という本能を持っているとのことである。しかしながら、その選択を他人に委ねて、放棄しているように思われてならない。
今すぐに原発継続か反対かのジャッジをしろというのではない。まずは正確で十分な情報を集める必要があるのではないか。
情報が十分でなければ、今の時代だ、自分で探すしかない。が、それも億劫だというのか...。
特に都心で住む会社員は仕事はあるし停電もない。そう自分には殆ど関係ないから、だから無関心?


今週号のAERAで、一昨日紹介した武田教授のインタビュー記事があった


武田氏は、両者(原発推進派と反対派)の対立を「かみあわない永遠論争」と評する。
「絶対の賛成と、絶対の反対との論争だからです。明らかに不完全な技術である原発をそれでも推進する派と、放射能の悪を原理主義的に攻撃するばかりの反対派がぶつかり続けてきた」
不幸にもその対立が、より現実的な論争へ転換する可能性を、今回の事故はもたらした。そう武田氏は考えている。事故が、「地に足の着いた議論の出発点」になることを期待するという。


今やるべきことは

  • 反対派:原理主義ではなく、安全対策のどこにどのような問題があるか指摘する。情報が公開されていないのでれば、どの情報の公開が必要かを提示して情報公開を求める。
  • 推進派:安全基準の決定プロセスおよび実際の安全対策に関する情報を公開する。

ではないか。

その反対派と推進派の議論のプロセスを国民に公開し、最終的に国民が判断すればよい。

そのためにも国民は、その議論を理解できる下地となる知識を書籍やネットから身につけておく必要がある。