knjrの日記

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原発事故はなぜくりかえすのか

放射科学者として原子力に携わり、晩年は原子力資料情報室を設立して原発問題に取り組んできた著者が、ガンで闘病中に書かれた最後のメッセージ。
原発の細かい技術論ではなく、事故の根本にある原因や日本人の原子力に対する受け止め方など、広い視点で我々に警告してくれている。
最近いろいろ原発関連の書籍を読んでいるが、その中でも必読の書。

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

  • 原子力の大きな問題は3つ。原子力村の関係者の中で、「議論なし」、「批判なし」、「思想なし」という「三ない主義」。それらの欠如が、安全文化ということを議論する土壌ができなかった大きな原因である。
  • 「議論なし」:膨大な放射能の社会的な影響(例、放射性物質の残留の意味)、炉心融解のような大事故が起こらないのかということについて、正式なシンポジウム等で議論されたことがない。
  • 「批判なし」:お互いにやっていることについて批判がない。
  • 「思想なし」:日本の原子力文化をどのように創造するという思想がない。
  • 「三ない主義」の原因の一つは、日本の原子力文化がボトムアップ的に少しずつ熟成さててきたものではなく、科学、技術、産業的基盤のない中、上からの政治的思想(中曽根康弘が中心人物)とそれに乗った財界(正力松太郎や旧財閥系銀行:三井、三菱、住友)の押し付けによって原子力グループが作られた。そこで原子力で商売しようという流れの中で原子力開発が進んでいった、ある意味特異でゆがんた歴史であるから。
  • 当時は原子力に優秀な人材が集まったが、実際に方向性や議論がない「三ない主義」に気がついた多くの人が、大学院や企業に入社後に他産業に転向している(ということは現在原子力産業に残っている人は、「三ない主義」に疑問を持たない人である)
  • さらに原子力村の一体性の中で飯を食べていかなければならないので、運命共同体的なものを押し付けられ、結果的に「三ない主義」が更に強化される。
  • 原子力には大きく分けて科学屋と物理屋がいる。科学屋は実験の中で放射性物質を扱い「実際の放射線はどういうものか、どのくらい危険か」というセンスを体験的に身につけること出来るが、物理屋はコンピュータ上で計算を行う数字上の学問(放射性物質を扱うことは殆どなく)であり、そのようなセンスが無い。そのため物理屋放射能が漏れるということについて、非常に安易に考えているのではないかと思われる。
  • 事故が発生した場合には国や関係機関による調査は、「被害はこの程度で済んだ」「国の安全審査はそこそこ健全な機能を果たしているのだ」ということを証明するための防衛的な調査になりがちである。
  • 本来は厳しいチェックを行い徹底して究明する自己検証型の調査をするべきである。しかしながら実際には第三者による検証を許さない、身内での調査になっている。
  • 過去の多くの事故の報告書を眺めてみても、事故原因がきちんと整理された結論が出されたことは殆ど無い。事故の過程の解明ではなく、シナリオのように事故に繋がったストーリーが書かれているだけで、それ以上踏み込んだ解明が行われていない。