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官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機

高レベル放射性廃棄物の専門家で、事故直後の3月29日から約5か月間、内閣官房参与を務めた田坂広志教授(多摩大学)による、内部から見た事故の真実と今後への提言など。
新書であるが、かなり濃い内容である。特に原子力村の専門家が決して言わないような、問題の本質的なところに踏み込んだ分析や提言も多く、是非多くの人に目を通して欲しい。特に第三部の「依存の病」に注目!

官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機 (光文社新書)

官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機 (光文社新書)

本書は3つの章に分かれている
第一部 官邸から見た原発事故の真実
第二部 政府が答えるべき「国民の七つの疑問」
第三部 新たなエネルギー社会と参加型民主主義
それぞれについて要点を以下に


◎第一部 官邸から見た原発事故の真実

  • 真のリスクマネジメントとは、「起こったリスクを最小限に抑え、迅速に収束させること」だけではなく、「今後、起こり得るリスクをすべて予想し、いち早く。そのリスクへの対策を打つ」こと。その視点から見ると、我々は目の前の事象に奪われるあまり、その先にやってくる「さらに深刻なリスク」を見ることを忘れている。その最大のリスクは『根拠のない楽観的な空気』
  • そのような楽観的な空気中、政財官界のリーダーに知っておいてもらいたいこと、それは「最悪の場合、首都圏三千万人が非難を余儀なくされる可能性があった」ほど深刻な事故であったということである。実際、田坂氏自身も、3月29日の官邸入り以前は、アメリカやフランスのは過剰反応では、と思っていたが、官邸入り後に正確な状況を知るにつれ、アメリカやフランスの反応が過剰でないことが分かった。米国国務省の日本部長の話によあると、「首都圏9万人のアメリカ人全員に避難勧告を出すべきでは」という意見もあったが、そうすると日本人を含めた首都圏全体がパニックになるために、その意見は採用されなかった。
  • 冷温停止状態」とは世界の専門家の常識的な定義からすれば「冷温停止」ではない。「冷温停止」とは、「臨界が完全にコントロールされている」ことであり、そもそも健全な状態の原子炉について語られるべきことであるのだが、福島第一では建屋は崩壊、圧力容器や格納容器が破損している可能性があり、核燃料はメルトダウンまで起こしているような状態の原子炉で「冷温停止」という言葉を適用すべきではない
  • 冷温停止状態」という言葉を語る事によって、「自己催眠」に陥る落とし穴がある。周辺住民や国民に「安全になりました、安心してください」と伝え続けるうちに、自分達自身も「安全になった、安心してよい」と自己暗示・自己睡眠をかけることになる。国民に対してはそれでもよいが、国のリーダーは覚悟を決めて、強い「警鐘」を鳴らし続けなければならない。
  • 仮に「絶対安全な原発」ができても、高レベル放射性廃棄物の安全な処理方法が確立されない限り、原子力の問題は解決しない。高レベル放射性物質は、10万円以上の長い間、人間環境から隔離し、その安全を確保しなければならない。それは技術的な問題ではなく、究極、「社会的受容(パブリック・アクセプタンス)の問題である。
  • 「技術的な問題」ではなく「社会的受容」になる理由は、2つある。一つ目は「10万年後の安全」を科学と技術で実証することができないから、二つ目は、十万年もの間、高レベル放射性廃棄物を地中深くに最終処分するという行為は、明らかに「未来の世代」に負担とリスクを残す、すなわち「世代間倫理」の問題であり、これは「現代の世代」である国民の選択の意思決定の問題になるから(=「技術的問題」の領域を超えている)。


◎第二部 政府が答えるべき「国民の七つの疑問」
第一の疑問 原子力発電所の安全性への疑問

  • 安全設計において技術者が行っているのは、「起こり得る全ての事態を想定している」のではなく、「想定し得る全ての事態を想定している」に過ぎない。従って、その技術者や技術者集団の「想像力」を超えた事態は「想像」もされなければ「想定もされない」。「想定」という行為には、さらに恐ろしい「確率論」という落とし穴がある。技術者や技術者集団が、ある極めて危険な事態が起こる事を「想像」しても、「そうした事態は、極めて低い確率でしか起こらない」と判断し、その事態を安全設計においては「想定」しないという結論にしてしまう。「確率論」の背後には、さらに「経済性」という落とし穴がある。「そうした危険な事態は起こるかもしれないが、起こる確率は極めて低い事態であり、まともに対策をするとかなりコストがかかるから、想定しなくても良い」と判断してしまう。
  • 今回の福島の事故で、ひとたび災害がおこればその被害は極めて広域に及ぶことが判明した。いままでは、原発推進側は「地元の了解を得る」ために、地元への交付金や雇用提供などによる「直接的な経済的誘導」を行ってきた。これからは「直接的な経済的メリットを示すことによる地域住民の説得ではなく、原子力の長期的メリットを示すことによる国民全体の納得が得られるか」という問題のに直面する
  • 原発の安全性の議論において「確率的安全評価の思想」つまり「可能性が極めて低くても、万一のときに被害が受容できるレベルを超える甚大なリスク」を考えなければならない。今回の福島原発事故のように、たった一回の事故で、極めて広域の放射能汚染を生じ、多くの周辺住民の方々の生活を破壊し、無数の国民に不安を与えるような事故、その事故の収束と復興に数十年以上の歳月がかかり、莫大な国家予算を投入しなければならない事故は、簡単に「事故の被害は極めて甚大だが、発生確率は極めて低いから」という確率的論理や統計的論理で軽に語ってはならない
  • 「確率的安全評価の思想」には「確率値の恣意的評価」という落とし穴がある。すなわち、安全評価の結果を、意図的に「十分に安全である」という結論に導くために、使用する「確率値」を低めに評価するという落とし穴である。原発の大規模事故の確率を計算した「ラスムッセン報告」においても、様々な研究者から指摘されている。


第二の疑問 使用済み燃料の長期保管への疑問

  • 福島原発で冷却機能の喪失という状態が続いた場合、一番のリスクは4号炉の使用済み燃料プールである。燃料プールでは、核燃料が炉内から取り出されているため、何の閉じ込め機能もない、いわば「むき出しの炉心」の状態になってしまう。再度、同じ規模の地震があれば、4号機の構造物が崩壊し、核燃料がさらに破損し、水がない状態で放射線遮蔽機能が無くなるため、放射線レベルが高いレベルにあがり、人間が近づけなくなる可能性がある。


第三の疑問 放射性廃棄物の最終処分への疑問


第四の疑問 核燃料サイクルの実現性への疑問

  • 核燃料サイクルの本質的な問題は、計画通りに進んでいないということではなく、開発計画において、今までは十分な「情報公開」がなされていなかった「透明性」の問題である。
  • 高速増殖炉計画については、「技術的な問題」についての議論に加えて、「行政的な問題」についての議論が必要。高速増殖炉計画のような国家プロジェクトに膨大な国家予算を割り振っているのは、技術的必然性からではなく、省庁の外郭団体を潤し、天下りを始めとする利権的な構造を維持するためだからではないか」という疑問をもたれないよう、「プロジェクト運営体制の改革」が必要


第五の疑問 環境中放射能の長期的影響への疑問

  • 除染について3つの理解が必要。「除染とは放射能が無くなることではない」、「すべての環境を除染できるわけではない(生活圏の除染は可能だが、生態系の除染は技術的にもコスト的にも不可能)」、「除染の効果がわからない(除染により周辺住民の長期的健康被害が低減したか否かが分からない。その理由は発癌死亡率が「誤差の範囲」に隠れてしますから)」
  • 「除染の効果はわからない」が除染は行う必要がある。それには3つの理由がある。「リスクマネジメントの原則、すなわち「最も厳しい仮定」に立つから」、「最悪を備えて万全の対策を取る、すなわち「最も厳しい仮定」に立って必要な対策を取る、「空振りの損失コストは覚悟する」。決して、経済優先的な判断をしてはならない。


第六の疑問 社会心理的な影響への疑問

  • 我々は「物理的な被害」や「経済的な被害」だけでなく、「精神的な被害」も現実であることに、深く留意しなければならない。例えばチェルノブイリ事故のときの「事故への恐怖」、「環境汚染への懸念」、「健康への不安」、「仮定の崩壊」、「仕事の喪失」、「将来への絶望」、「生きる意欲の喪失」などである。


第七の疑問 原子力発電のコストへの疑問

  • 「高レベル放射性廃棄物処分コスト」原発の発電コストに十分に反映されていない。その理由は高レベル放射性廃棄物の最終処分方法が決まっていないため。
  • さらに客観的・定量的な評価ができないために算出できないコストとして「社会的費用」がある。今回の事故の「社会的費用」としては、国や自治体が負担した除染費用、風評被害による生産物の売り上げ低下の損害、周辺住民の不安や労働意欲の喪失による経済的損失などがある


第三部 新たなエネルギー社会と参加型民主主義

  • 日本では成熟した民主主義になっていない。そのことは劇場型政治や観客型民主主義という言葉に象徴されている。日本では「強力なリーダーの出現」の願望と幻滅が繰り返されている。その真の理由は、「リーダーの不在」ではなく、我々の中に巣食っている「自分以外の誰かが、この国を変えてくれる」という「依存の病」であり、その病こを克服しなければならない。


2011年10月14日の記者会見の内容に、本書の内容がかなり含まれていますので、ご参考に↓