knjrの日記

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反・自由貿易論 (新潮新書)

自由貿易」「グローバル化」は正しいと信じていいのか、一般国民にとって本当に正しいのか?。相手国から主権を奪い、民主政治を制限する。これがグローバル化した現代における貿易交渉の実態である。TPPも国家介入とは無縁で政治的に中立な経済活動などではなく、むしろ国際政治における国家やグローバル企業の戦略的な手段の一つ。

反・自由貿易論 (新潮新書)

反・自由貿易論 (新潮新書)

  • これまで信じられてきた自由貿易の理論は、非現実的な前提に立った空論である:経済学者が信じる「自由貿易は望ましいもの」の根拠として「比較的優位論」が挙げられる。この前提条件には完全雇用=失業者はいない」「生産要素は国内で自由に調整なく移動できる=農家が失業してもIT産業で職を見つけることあができる」「需要と供給は常に一致する」などといった空論が含まれる
  • 第二次大戦前の歴史的に見ると、世界経済は自由貿易ではなく保護貿易によって発展した。:自由貿易はお互いの国にとってメリットのある平和的な相互依存関係のように論じられてきたが、実際には、たとえば19世紀から第二次世界大戦前までのイギリスは弱い国に対して修交通商条約の締結によって市場開放を迫るという政治的な行使により相手国を経済的に支配していた。
  • 第二次世界大戦後の経済発展も完全な自由貿易による発展ではない:戦後のGATT体制では、完全な自由貿易の実現ではなく、より自由な貿易と各国の国内政策との整合性を図ることを目的に運営されてきた。しかし1986年のウルグアイラウンドや1995年のWTO設立あたりから、世界貿易に対する基本的な考え方が「国内政策や国内制度は、国際貿易市場や国際金融市場に従属すべき」というイデオロギーに変わった。それ以後、政治的・外交的に強い国の主張が益々力を持つ事になったが、だからといってそれらの強い国の一般国民の賃金は伸びなかった。企業のオフシュアリングによる雇用移動で労働者の賃金は抑えられるのである。※
  • 第二次大戦後、日本企業の輸出攻勢を米国が認めていたのは、米国が東側世界に対抗して西側同盟国の結束を固め、資本主義のメリットを享受させて共産化を防ぐという安全保障上の意図が強かったため。冷戦終結後、日本はソ連に代わり米国のライバルとなっており、米国の意向に従っていれば経済的に繁栄させてくれる時代は終わった。それにも関わらず、日本の政治家、官僚、学者、マスメディアは、この冷戦終結による環境の変化を十分に認識できず、容易に米国の意向に従い、下手をすると米国の要求がなくても自ら進んで、米国の有利なルールを「グローバル・スタンダード」と称して受け入れるようになった。
  • 各国間の通商交渉の中で、農業や工業だけでなくサービス分野までが扱われるようになってきた。サービス分野における非関税障壁の議論には、その分野に関する極めて高度な知識が求められるため、次第に政府官僚の手に負えなくなり、グローバルな製薬会社や巨大金融機関に専門知識を依存せざるを得なくなってきた。グローバル企業は外交交渉に深く入り込み情報を獲得し、自社の利害を交渉に反映させるようになった。本来は国家間の外交のはずなのに、政府に特定のグローバル企業が実質的に入り込んでいき、政府とグローバル企業はお互いに強い依存関係となったしまった
  • 今行うべきは、ハイパー・グローバリゼーションの夢を断念し、各国の国内政策を「主」、世界市場を「従」とする体制へもう一度戻すこと。国ごとに異なる経済社会システムから、多様性に富んだ国際経済を構成すること。具体的には、労働基準、安全基準、環境規制、投資規制、知的財産制度、政府調達制度など、伝統的に各国が国内政治によって自律的に決めてきた制度やルールについて、「非関税障壁」などといって撤廃や改変することをやめて、各国の経済的な国民主権を認めること。また物品の関税についても、各国の事情に応じた例外を認め、それを引き下げる場合には、国内の事情を勘案して漸進的に引き下げ、関税撤廃によって不利益を被る産業や階層を、淘汰に任せるのではなく、政府が保護する必要がある。


グローバル化批判の先鋒であるジョセフ・スティグリッツ氏は『世界の99%を貧困する経済』の中で、「資本のグローバル化が進むと、資本家は、資本の海外流出を脅しにして、労働者の賃金水準を低く抑えることができる。貿易のグローバル化もまた、先進国と途上国の労働者の競争を通じて、先進国の労働者の賃金を下落させる要因となっている。こうして、グローバル化は貧富の格差を拡大する。」と述べている。