knjrの日記

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大国の掟 「歴史×地理」で解きほぐす

久しぶりの読書メモ。佐藤優氏の地政学についての分析。私のような人間でも理解できるように書いてくれいる。
以下、個人的なメモとして。

地政学

  • 国際情勢はめまぐるしく動いていくが、その中で重要なことは表面的な情勢がどう動いても変動しない「本質」を把握する事。そのためには国政情勢の背景にある「変わらないもの」に着目する事が重要。現在の中東、アメリカ、EU圏にせよ、「歴史」と「地理」の二つの不変要素が目下の国際情勢を規定している。
  • 歴史は類似的なものの見方を訓練することに多いに役立ち、それを身につければ未知の出来事に遭遇した時でも、過去の出来事との類似を考えて冷静に分析できる。一方、地理を学ぶ意義は「長い時間が経っても変化しない」ということに尽きる。
  • 地理的な思考を国家戦略に活用したものが地政学。国際情勢を読み解くためには、地政学の考え方が重要になってくる。ただし地政学は誤った使い方をすると戦争の道具となったり、自国の膨張を正当化する方便になってします。戦前の日本では「満州は日本の生命線」という言葉がよく使われるなど、戦争遂行の正当化のために使われた事情があったため、戦後の日本では地政学の研究を避ける傾向にあった。その結果、日本人の地理的な思考力は貧弱になってしまった。


アメリカ、イギリス

  • アメリカとイギリスは2016年に孤立主義を選択しようとしている、それができる理由は両国が海に囲まれ、海軍が主力の「シーパワー」の「海洋国家」だから地政学では国家を大きく「ランドパワー(大陸勢力)」と「シーパワー(海洋勢力)」に分けて考える)海洋国家は、海を通じてどこにでも行くことができるが、”行かない”という選択肢も手に入れられる=大陸にかかわるかどうかの選択肢をもつことができる。すなわち必要でないと判断した場合には、孤立主義」という選択肢を選ぶことが出来る。
  • シーパワーの優位性は、海から陸を囲い込むために、点と線だけを押さえればよいこと。イギリスはそうして海上覇権を確立していったが、このようにシーパワーを制した国は自由主義政策を拡大させていく。
  • 覇権国になるとその国は一方的に自由貿易を世界に強制するようになる。その例が19世紀のイギリスの自由主義であり、20世紀末〜21世紀初頭のアメリカの新自由主義覇権国家が弱体化すると、帝国主義の時代が訪れる。現在でもアメリカの弱体化すると、中国やロシアが軍事力を背景に、露骨な国益を主張するようになった。その結果、かつての帝国主義を反復する「新・帝国主義の時代」が訪れている。


■ロシア

  • プーチンは「地政学」や「力の均衡」を重視する国家戦略をとっている。「ユーラシア主義」「緩衝地帯」がキーワード。
  • 「ユーラシア主義」ロシアはスラブ系でロシア正教を信じる白人だけでなく、トルコ系、イラン系イスラム教徒、モンゴル系のチベット京都、シベリア、北極圏の少数民族までふくめて帝国としてとらえる。その具体的な形がEEU(ユーラシア経済同盟)
  • 「緩衝地帯」ロシアでは国境を「線」でなく「面」で捉える。少しでも隣国が侵入してくる可能性がある場合には、国境の外側に緩衝地帯をもつことを重視する。緩衝地帯とは自国領でないけど、いつでも自国の軍隊が移動できる地帯のこと。ロシアは平原であるがゆえ、いつでも攻め込まれる不安がある。だから緩衝地帯をもっていないと安心できない。第二次体制後も東ドイツポーランドチェコスロバキアハンガリーなどの国々をソ連に併合することは可能であったが、併合すると西側諸国と国境を接するので、衝突リスクを回避するためにあえて併合しなかった。それらはヨーロッパだけでなく、例えば1855年の日露通商条約でも、樺太に明確な国境性を定めなかったのも、緩衝地帯として機能させた例。


■中東

  • 「ISが国際社会の秩序を混乱させている原因である」という見方は、中東情勢の本質を見落としている。ISは「原因」ではなく「結果」。真の原因は、中東の地理的実態と合致しない欧米の政策、その出発点が1916年のサイクス・ピコ協定
  • 「人権」の反対は「独裁」や「抑圧」ではなく、「神権」である。中世ヨーロッパでは、神が全権をもっているという「神権の思想」が社会を覆っていたが、啓蒙思想の席巻により「人権の思想」へ転換して、人権の思想は世界中に拡散し、人民の代表を選出する代議員性民主主義も定着していった。イスラム世界にも人権の思想が入り、トルコ、イラン、パキスタンインドネシアでは民主主義は取り入れられたが、アラブ世界だけは神権から人権への転換が起こらなかった。そういった状況で民主的な選挙を導入すると、人民は人権を否定して神権を支持するもムスリム同胞団に投票し、民主的な選挙と通して、民主主義を否定するような政権が成立してしまう。


■中国の分析例

  • 中国が「世界の工場」としての地位が危うくなり、内需にも限界があるため、中国自らフロンティアを創出していく必要がでてきた。それが「一路一帯」。過剰な生産の受け皿として、海と陸の両方からユーラシア大陸の東西を結び、巨大なフロンティアを生み出すもの。地政学的にみれば、ランドパワーとシーパワーを同時に取り込んで囲い込んでしまうものに他ならない。
  • 中国の海洋への進出は、3つの理由から止まる可能性がある。①海軍の実力不足。海軍は15世紀には日清戦争くらいで歴史的にも実力不足、空母も搭載機を発進させるカタパルト技術がない=頻繁に墜落する可能性が高い。そもそも今後は無人機の時代で、空母は恰好の標的にしかならない。②海洋戦略の基本に反している。海軍力、海運力の強い国は、自国の領土主張するよりも、航行の自由を広く認めていく方向にしたほうが、中長期的には断然有利。ウイグル自治区の問題。これが一番本質的な問題。ウズベキスタンタジキスタンキルギスの参三か国の国境地帯にまたがるフェルガノ盆地が、第二イスラム国になり、それがウイグル自治区にまで拡大したときに、中国は海洋進出どころではなくなる。ウイグル自治区だけでなく、チベット自治区にも流動化する危険性がでてきて、相当の軍事力を振り向けなければ沈静できなくなる。最悪の場合、中国共産党の指導部の権威・権力が揺らぎ、国家統合の危機が生じる。


■日本の分析例

  • 江戸時代の日本は鎖国をしていて、非常に閉ざしていたイメージがあるが、実際には出島以外に、松前口を通じてサハリンや東シベリアと、対馬藩を通じて朝鮮半島やその先の明・清と連絡をとったり、琉球を通じて明・清と貿易関係を持っていたりと、実質的に東アジアの諸国との、当時最強国であったオランダとネットワークを築いていた。これは当時の日本としては必要かつ十分なネットワーク。つまり実態は鎖国ではなく、日本の安全保障のうえで問題となる外国との交易や布教活動を遮断していたというほうが適切
  • 江戸幕府が西欧諸国の中で、オランダだけと貿易をしていた理由は、オランダが当時覇権を握っていた海洋王国でオランダとうチャネルがあれば西洋の殆どの事情を知ることが出来たというとに加えて、オランダがプロテスタンティズムカルヴァン派だったこが大きい。カトリシズムが全世界にキリスト教を布教することを使命とし力で普遍的な価値観を押し付けるのに対し、オランダのカルヴァン派は統一思想がなく他人に宗教を強制することに魅力を感じていない=宣教しようという意識が希薄だから、秀吉、家康、家光らは、カトリック国との外国関係を断絶しカトリック宣教師の活動を禁止し、出島だけをプロテスタントのオランダだけに門戸を開いておくことになった
  • 1850年代にアメリカが日本と国交を開いたのは、日本にとって幸運であった。ロシアが先であればロシア帝国に組み込まれていたかもしれないし、イギリスであったら植民地にされている可能性もあった。さらに20年遅くアメリカが来ていれば、フィリピンと同じように植民地にされていたかもしれない。その理由は日本がアメリカの植民地を免れた理由は南北戦争南北戦争は1861年〜65年であるが、明治維新南北戦争の数年後であったため、当時のアメリカは国内統一に忙しく、対外的な政策をとることが出来なかったが、1870年に入るとアメリカは帝国主義の仲間入りをする。日本は幸いにも、その期間に体制を変革することができた。